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米沢市出身の彫刻家 桜井祐一(さくらい・ゆういち)(1914~81/大正3~昭和56)は、17歳から彫刻をはじめ、20歳で日本美術院展覧会(院展)に初入選して頭角を現し、5年後には院友に推挙されます。戦後は、具象彫刻の中心的作家のひとりとして「ネグリジェの女」「あるポーズ」のシリーズで確固たる地位を築き、戦後日本彫刻史の主要な作家となりました。初期の日常感覚にあふれた木彫、戦後取り組んだ女性の身体を造形的にとらえたシリーズ、一時的に試みた具象を突き詰めたデフォルメなど、豊かな作品遍歴には、長年病と闘いながら制作を続けた桜井の苦悩と、生きることへの希求が強く反映されています。晩年、「レダ」で中原悌二郎賞を受賞し、抑制されたポーズの官能性豊かな女性像に「内的生命の表出」を託しながら病をおして制作を続けました。戦時中は米沢に疎開し、制作活動を継続しましたが、その間、日本画の遠藤桑珠や福王寺法林らと米沢美術連盟を組織して文化活動を行い、鈴木実や阿部誠ら山形県出身の後進の指導にも励み、米沢の文化芸術に重要な役割を果たしました。本展では桜井祐一の生誕100年を記念し、その主要な作品(木彫、ブロンズを中心に)とともに制作活動の全貌を振り返り、桜井の目指した『生命の造形』を紹介します。また、新発見の最初期の木彫も公開します。
上杉博物館HPより引用